弘法大師は二十五箇条の『御遺告』第八において、道慈を「わが祖師」と称し、勤操を「わが大師」と呼んでいます。 天長六年(829年)には、空海は大安寺の別当に補せられましたが、さらに「大安寺を以て本寺となし釈迦大士に 仕え奉るべし」として弟子達を多く入住させたと言われます。 大安寺HP わたくしが入滅した後の弟子門徒たちは、大安寺を本寺とすべき縁起第八 そもそも思いめぐらしてみれば、大安寺は兜率天の宮殿のような構えであり、インドの祇園精舎のような役割をはたしている。 本尊の釈尊像は、すなわち智法身のお姿である。 わたくしがはじめて仏道に菩提を求める心を起こすもととなった、わたくしの祖師である道慈律師が推古天皇の御願を実現した 寺である。これによって、わたくしの偉大な師である岩淵の僧正を贈られた勤操が大安寺を本寺としてお弟子たちをみな入住させた。 それに随って、わたくしもかの寺を本寺とするのである。ただし、わたくしは勅命によって東大寺に行き南院を建立した。 この間に出家した弟子たちは便宜上、東大寺に入住した。まさしくいま、本来の意趣を考えてみると、わが先師のお寺である大安寺 はまさに優れた土地である。先師がその土地をよく選んで建立されたのである。わたくしの弟子、後々の門徒たちは、大安寺を本寺と して本尊の釈迦牟尼如来にお仕え申し上げるべきである。境内の中の西塔院を根本の住所とする。詳しい事情は別の記録にある。 また師から弟子へと法を伝え伝えられた密教の系譜である血脈を示した図は別紙にある。一事を得て万事を知るがよい。 兜率天宮を真似た祇園精舎を模した唐の西明寺を範としたとする奈良・大安寺の本尊も、空海の『御遺告』 「一、吾が後生の弟子門徒等、大安寺を以て本寺となすべき縁起第八」によると 釈迦如来である。   夫れ以れば大安寺は是れ兜率の構、祇園精舎の業なり。尊像の釈迦は即ち智法身の相なり。(中略)   須く吾が弟子、後生の門徒等、彼の寺を以て本寺となし、釈迦大師に仕へ奉るべし。(後略)  大安寺は、兜率天の宮殿のような構えでインドの祇園精舎のような役割を果たしているといい、空海は釈 迦に仕えることを弟子らに言い残している。(平泉文化研究年報 岩手県教育委員会 平成19年3月)